不条理
2022年4月8日
前回のブログを書き終えて束の間、「兄貴が危篤」の連絡が入る。
コロナ症ではなかったものの、病院自体が戒厳令下に置かれているような状況で、見舞い等は断固拒否される。
しかし、危篤という状況を鑑みてくれ、「夕刻1分間だけ」との条件で、見舞いに行くことが許された。
9歳年上の兄貴、幼いころ(兄貴中学生私3歳の夏)自転車の後ろに乗って、高梁川にかかる霞橋の下流に、貝拾いに連れて行ってもらった。
優しい兄貴であった。
しかし、私が横着な態度でもしようものなら、厳しく叱られた。
親父以上に、怖い兄貴でもあった。
見舞いに行って、2日後、「逝去」の知らせが入った。
穏やかな死顔を呈していた。
葬儀も近親者のみと聞いていたが、兄貴が教えていた剣道クラブの子供たち(今は30歳前後)が沢山見送ってくれた。
私の知らなかった、兄貴の別の一面が垣間見られたことで、とても誇らしくうれしい気持ちになった。
昨年末から私の周りで、親戚や友人の中から、多くの訃報が届いた。
昨年11月には伯母2人が相次いで亡くなる。
2月には中学以来の友人が亡くなった。
その友人は、死ぬ5日前にはラインで3回目のコロナワクチン接種を終えた。
孫の為に、これからも精一杯生き抜く。と語っていた。
6月第1週の土曜日に、兄貴の49日法要が行われた。
第2週になると、大阪に出て来て以来、40年来の親しい友人(足繫く通っていた寿司屋の親父)の訃報が届く。
おかみさんを早くなくして、子供たち6人の成長を見守り、晩年は決して、幸せとは無縁と思えるような人生を過ごしたように思う。
そう思うのは私だけで、彼も彼の最後を見守った子供たちも、決してそうは思わないだろうが、葬儀が盛大であったが故に、逆に寂しさが募る。
家内共々、葬儀に参列するが、いたたまれない思いを後に会場を出る。
第3週になると、今度は母方の従兄弟の奥さん(享年70歳)が亡くなる。
親戚筋の冠婚葬祭は今までは兄貴が全て取り仕切っていてくれた。
私までは余程のことがない限り、連絡はあるものの出席することはなかった。
ここでも、兄貴の偉大さを痛感する。
これからは、親戚筋の窓口も担わなければならないと覚悟をする。
ここ半年余りで6人を見送った。
そういう年回りになったかと思うが、ある意味、「死に様は今まで生きてきた鏡」と言われる。
「生きてきたように死んでいく」とも言われる。
穏やかな人生を送れたら穏やかな葬儀になる。
刺々しい人生を送ったら、寂しい葬儀になる。多くの葬儀を垣間見て、私の葬儀は一体どんな葬儀になるのか、と思うと・・・・
遅いかもしれないが、笑って生きていきたいと思う。